123

1: 2017/01/24(火)22:22:29 ID:LFA
1(中)柴田勲
2(遊)藤田平
3(右)長池徳二
4(一)ブーマー・ウェルズ
5(指)加藤秀司
6(左)土井正博
7(捕)田淵幸一
8(三)有藤通世 
9(二)立浪和義


投手
江夏豊、松岡弘、足立光宏、川崎徳次、成田文男、大友工






元スレ:http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1485264149/l50


 
2: 2017/01/24(火)22:23:38 ID:Pm5
■■■■を忘れとる

4: 2017/01/24(火)22:24:02 ID:LFA
>>2
選手のチョイスはワイの独断や、すまんな

3: 2017/01/24(火)22:23:40 ID:LFA
需要ないかもしれんけど選手の解説入れていくで

5: 2017/01/24(火)22:24:18 ID:LFA
柴田勲
通算2208試合 2018安打 打率.267 194本塁打 708打点 579盗塁 出.347
盗塁王6回

V9巨人の1番打者であり、盗塁王6回、B94回、ダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデングラブ)5回の巨人歴代B9候補
通算197本塁打とパンチ力も兼ね備え、ON時代にこの二人以外で唯一4番を打った経験がある
通算579盗塁は巨人の球団記録であり、セ・リーグ通算でも歴代1位
現時点では最後の巨人の生え抜き2000本安打達成者である
高校時代は法政二高のエースとして甲子園で夏春連覇を果たしており、怪童・尾崎行雄とのライバル関係は有名

6: 2017/01/24(火)22:24:56 ID:LFA
藤田平
通算2010試合 2064安打 打率.286 207本塁打 802打点 85盗塁 出.336
首位打者1回 

遊撃手経験者としては数少ない首位打者(首位打者獲得時は一塁手)であり、通算2064安打は阪神の球団記録
阪神生え抜きでは史上唯一の2000本安打達成者である
1978年には208打席連続無三振の日本記録(当時)を樹立するなど三振の少ない巧打者として活躍した
1984年限りで引退したため85年の日本一は経験出来なかった
現役引退後1996年から阪神監督を務めたが、2年連続最下位と監督としては成功できず

9: 2017/01/24(火)22:26:27 ID:c7K
>>6
藤田って名選手やのに選手の時期と監督の時期のタイミング悪すぎよな

10: 2017/01/24(火)22:26:53 ID:LFA
>>9
何かOBとしても扱い悪い気がする、ワイの印象やけど

7: 2017/01/24(火)22:25:36 ID:LFA
長池徳二(引退後は徳士)
通算1449試合 1390安打 打率.285 338本塁打 969打点 61盗塁 出.361
MVP2回、本塁打王3回、打点王3回

第1期黄金期阪急の4番打者であり、1969年~1973年にかけ40本塁打を4回達成し3度の本塁打王を受賞
規定3割も4回達成しており、率も兼ね備えたスラッガーとして他球団を震え上がらせた
度重なる怪我で通算成績は少し物足りないが、大杉勝男、野村克也と全盛期が被った中で本塁打王3回は素晴らしい実績
コーチとしても有能で、秋山幸二、佐々木誠、鈴木尚典、石井琢朗、波留敏夫、福浦和也と言った名選手を育てている

8: 2017/01/24(火)22:26:19 ID:LFA
ブーマー・ウェルズ
通算1148試合 1413安打 打率.317 277本塁打 901打点 18盗塁 出.372
MVP1回、三冠王1回、首位打者2回、本塁打王1回、打点王4回

パ・リーグ史上最高の助っ人外国人
来日二年目の1984年に外国人史上初となる三冠王を獲得
その後も安定した活躍を続け、実働10年で打率3割を8回、30本塁打を5回、100打点も5回記録した
守備も安定しており、ゴールデングラブ賞を2度受賞している
ロッテ時代の落合博満と唯一渡り合った打者と言って良い強打者である
親日家でもあり、NPB野球殿堂入りにも意欲を見せていたが資格最終年に13票足らず落選となった

11: 2017/01/24(火)22:27:11 ID:LFA
加藤秀司
通算2028試合 2055安打 打率.297 347本塁打 1268打点 136盗塁 出.372
MVP1回、首位打者2回、打点王3回、最高出塁率3回

第1.2期黄金期阪急の正一塁手・3番打者
ドラフトの同期で山田久志、福本豊がおり、名球会3人を輩出した1968年ドラフトは史上最高のドラフトと言われている
犠牲フライを打つのが上手い選手でもあり通算105犠飛は歴代2位
同時期に長池やマニエルと言った強打者がいた事も有り本塁打王経験は無いものの1970年代を代表する強打者である
その後広島→近鉄→巨人→南海と渡り歩き、現在は中日ドラゴンズ1軍打撃コーチ
日本ハム打撃コーチ時代に小笠原道大を育てた

12: 2017/01/24(火)22:27:43 ID:LFA
土井正博
通算2449試合 2452安打 打率.282 465本塁打 1400打点 出.361
本塁打王1回

1960年代~70年代のパ・リーグを代表する強打者
高卒1年目から近鉄の4番打者に抜擢されるとプロ3年目に最多安打(当時表彰無し)を達成するなど主力として活躍
その後西武(当時太平洋)にトレードで移籍し、移籍1年目に初タイトルの本塁打王を獲得した
キャリアを通じてのタイトルはこの本塁打王1回のみだが、18年連続二桁本塁打、20本塁打17回と安定した成績で通算465本塁打を記録
弱小時代の近鉄、西武に在籍していた事も有り日本シリーズ出場経験はない
通算2000本安打達成者で日本シリーズ出場経験なしは土井と前述の藤田だけ
西武打撃コーチとしても数々の強打者を育てた名コーチである
2016年オフ中日ドラゴンズ1軍ヘッドコーチに就任

14: 2017/01/24(火)22:28:25 ID:LFA
田淵幸一
通算1739試合 1532安打 .260 474本塁打 1135打点 18盗塁 出.361
新人王、本塁打王1回

捕手史上二人しかいない本塁打王獲得経験者(もう一人は野村克也)
法政大学からドラフト1位で阪神に入団、プロ1年目に22本塁打し新人王を獲得すると、その後も本塁打を量産
1975年には43本塁打で本塁打王を獲得し、王貞治の連続本塁打王獲得記録を14年連続でストップさせた
その後1978年オフにトレードで西武移籍、西武でも1980年に40本塁打を放つなど正一塁手・指名打者として活躍、1983年の日本一にも貢献した
プロ1年目に頭部死球を食らうなど怪我の多い選手人生で、全試合出場したシーズンは2シーズンのみ
通算本塁打率は12.41であり、これは王貞治(10.66)に次ぐ数字でカブレラ(12.63)松井秀喜(13.77)を上回る歴代2位である
いしいひさいちの漫画「がんばれ!タブチくん!」の主人公は彼をモチーフとして描かれている

15: 2017/01/24(火)22:29:11 ID:LFA
有藤通世
通算2063試合 2057安打 打率.282 348本塁打 1061打点 282盗塁 出.348
新人王、首位打者1回

言わずと知れたロッテ一筋のミスター・ロッテ
入団1年目に打率.285、21本塁打、55打点の好成績で新人王を獲得
その後も8年連続20本塁打、規定打率3割5回などロッテの主力選手として18年間活躍
1974年には25本塁打、20盗塁を記録しチーム初の日本一に貢献
1972年に31盗塁を記録するなど盗塁も得意であり、走攻守を兼ね備えた名三塁手である
引退後は監督に就任したものの結果を残せず3年で解任となってしまった

16: 2017/01/24(火)22:29:36 ID:5nr
2000本安打も達成しているミスターロッテの有藤が殿堂入りしていないのは
やっぱあの近鉄の優勝のかかったダブルヘッダーで遅延行為まがいの抗議をした評判の悪さが要因にあるのかな?

28: 2017/01/24(火)22:37:27 ID:LFA
>>16
>>19でも出てるけど江夏土井柴田はしゃーないとして有藤は普通に入るべき実績やと思うがなぁ
加藤秀司もやが

17: 2017/01/24(火)22:30:13 ID:LFA
立浪和義
通算2586試合 2480安打 打率.285 171本塁打 1037打点 135盗塁 出.366 
新人王

KK世代の1つ後輩で、プロ野球選手4人を輩出した代のPL学園主将として甲子園春夏連覇を達成
1987年ドラフト1位で中日に入団、1年目からショートの定位置を掴むとルーキーでゴールデングラブ賞を受賞
その後セカンド→サードとポジションを変え3ポジションでゴールデングラブ賞を受賞(史上唯一)
打撃タイトルこそ無いもののプロ22年で規定打率3割を7回、出塁率3割5分以上14回の勝負強い打撃で星野・高木政権の中日の主力として活躍
そのプレースタイルから3代目ミスタードラゴンズと呼ばれた
晩年は代打の切り札として活躍し、プロ最終年は主に代打で77試合に出場し打率.318を記録した
通算487二塁打は福本豊を抑えてNPB歴代1位である。
度々中日監督の候補として名前が挙がるものの監督就任は未だ実現していない

18: 2017/01/24(火)22:31:12 ID:LFA
江夏豊
通算829試合 206勝158敗193セーブ 3196回 2987奪三振 防御率2.49
MVP2回、沢村賞1回、最多勝2回、最優秀防御率1回、最優秀救援投手5回

NPB史上最高の左腕として度々名前が挙がる伝説の投手
阪神入団2年目に年間401奪三振の世界記録を樹立。その後も村山実とダブルエースを組みON率いる巨人と凌ぎを削った
AS9者連続三振、ノーヒットノーランを自らサヨナラホームランで決めるなど逸話は数知れず。
その後心臓病や血行障害の影響で成績が低下、野村克也率いる南海ホークスへとトレード移籍する
そこで野村に説得を受けリリーフに転向、日本球界のリリーフの地位向上のパイオニアとなった
広島時代の1979年、日本ハム時代の1981年にはクローザーとして優勝に貢献し両リーグMVPを受賞(史上初)
1979年日本シリーズ第7戦9回裏の投球は江夏の21球として有名
西武を戦力外になった後、MLBにも挑戦しメジャー寸前までいったもののメジャー契約はならず現役を引退した
引退後覚醒剤保持で実刑判決を受けており、現在殿堂入り資格は剥奪されている

19: 2017/01/24(火)22:31:12 ID:t92
江夏柴田土井は残当

20: 2017/01/24(火)22:31:49 ID:LFA
松岡弘
通算660試合 191勝190敗41セーブ 3240回 2008奪三振 防御率3.33
沢村賞1回、最優秀防御率1回

1970年代のヤクルトのエース
全盛期は安定して防御率2点台の好成績を残していたがチームが弱かった事も有り最多勝のタイトルには恵まれず
1978年には16勝を挙げチームの初優勝、日本一に貢献して沢村賞を受賞した
その後1980年に最優秀防御率のタイトルを獲得するも首のケガが原因で成績が低迷、200勝を目前に現役を引退した
現在は高校野球の非常勤コーチを務めている

21: 2017/01/24(火)22:32:19 ID:LFA
足立光宏
通算676試合 187勝153敗 3103回 1482奪三振 防御率2.91
MVP1回、最優秀防御率1回

阪急黄金期を代表する名投手
プロ4年目の1962年に1試合17奪三振の日本記録(当時)を記録し主力投手に成長するとその後も阪急黄金期を支えた
同じアンダースローの山田久志とダブルエースを組んでいたことでも有名
キャリア後半に山田がいた事も有ってタイトルは1967年の最優秀防御率のみだがシーズン15勝を6回記録した大投手である
日本シリーズに強い投手でもあり、シリーズ通算9勝は歴代3位

22: 2017/01/24(火)22:32:53 ID:Bsv
バースは?

23: 2017/01/24(火)22:32:59 ID:LFA
川崎徳次
通算505試合 188勝156敗 2870.1回 1148奪三振 防御率2.53
最多勝2回、最優秀防御率1回

戦前・戦後初期のNPBで活躍した名投手
1940年南海に入団するとプロ2年目に12勝、3年目に15勝と順調にキャリアを積む
が、戦争に応召され3年半のブランクを挟んでしまう
戦後は巨人に入団、藤本英雄と共にエース格として活躍し1949年の戦後初優勝に貢献
その後1950年に西鉄(現在の西武)に移籍、一時期故障で低迷するもナックルボールをマスターして復活
1953年には自身初の最優秀防御率のタイトルを獲得する等三原脩政権初期の主戦投手として活躍した
引退後もコーチ、助監督として三原政権下の西鉄黄金期を支えた
全盛期寸前に戦争応召による4年弱のブランクがあり、これが無ければ200勝を達成出来ていた可能性は高い

24: 2017/01/24(火)22:33:54 ID:fvl
かとうひでじはパワプロでクソ強かった

25: 2017/01/24(火)22:33:58 ID:LFA
成田文男
通算534試合 175勝129敗8セーブ 2781回 1657奪三振 防御率3.20
最多勝2回

1960年代後半~70年代前半のロッテのエース
プロ3年目の1967年に14勝を挙げエースの座に就くとその後3年連続20勝をマークするなどパ屈指の大エースとして君臨
1970年には25勝をマークしチームのリーグ制覇に貢献、1974年の日本一にも主力投手として貢献している
1977年に肩をケガして以降成績が低迷、日本ハムに移籍後1982年に現役を引退した
彼の武器であるスライダーは日本球界史上屈指のスライダーと言われる
1968年日米野球で来日したある若手左腕は成田のスライダーに衝撃を受けこれをマスター
その球を決め球としてサイ・ヤング賞を4回受賞した
その左腕とは通算300勝投手、スティーブ・カールトンである

26: 2017/01/24(火)22:34:29 ID:LFA
大友工
通算294試合 130勝57敗 1591.2回 948奪三振 防御率2.11
MVP1回、沢村賞1回、最多勝2回、最優秀防御率1回、最高勝率2回

1950年代の巨人のエース
軟式野球出身でプロ入りは24歳と遅かったがプロ3年目にスライダーをマスターすると11勝を挙げる
その後1953年に27勝を挙げ投手3冠、1955年には30勝を挙げるなど1956年に死球で怪我をするまで4年連続で防御率1点台をマーク
死球で効き指を骨折した事が原因で1957年以降は満足いく成績を残せなかった
が、全盛期の安定感は藤本英雄や斎藤雅樹に匹敵する巨人史上屈指の大エースである
フォームはサイド、アンダースローだったがその速球は金田正一も一目置いていた
1953年オフの日米野球ではサンフランシスコ・ジャイアンツ相手に1失点完投勝利
日本人で初めてメジャー相手に完投勝利した投手となった

27: 2017/01/24(火)22:36:06 ID:LFA
候補として他に考えてた選手

新井宏昌、※※※※、バース、大石大二郎、真弓明信

あと投手は平松政次入れる予定やったけど今年入ったな

29: 2017/01/24(火)22:37:34 ID:FAR
松岡弘とかいういろいろかわいそうな投手



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